劇場版ポケットモンスター「ミュウツーの逆襲」
2004年8月16日 映画
DVD メディアファクトリー 2000/06/23 ¥4,515
なんか今日テレビでやってましたね。
オリンピックを見ててCMになったときにチャンネルを適当に回してみたらやってたのを発見(笑
で、懐かしさも重なって思わず観てしまいました。
オリンピックそっちのけで
と言っても最後の30分ちょっとの間だけだったけどね。
当時観たときとはなんかいろんな意味で違う視点から観てたような気が。
今考えれば普通に「これ有り得ないだろ」って感じのツッコミ要素も満載だけどそれはいいとして。
↑のamazonの紹介の文にもちょっと書いてある「オリジナルとコピー」の話。
以前とあるホームページにこの映画の感想みたいなのが載ってたのを見たんだけどそこには「劇中のコピーのポケモン=現実でのクローン技術」に置き換えれるって感じに書いてあったり。
それはかなり頷ける内容だったなぁ。
他にもちょっと探せばこのことについて書いてあるレビューは多いかと思う。
分からない人のために話の大まかな流れだけでも書いておこうと思ったけど文にしたら長くなりそうだししっかり説明できるほどは覚えてない事に気づいたため割愛。
とりあえずミュウツー=人の手によって創り出されたポケモンってことだけ述べておきます。
気になった人は自分で調べてください(ぉぃ
過去に1度観てる人は気合で思い出してください。
今日観た自分が1番印象に残ったのはコピーのほうのピカチュウ。
もちろんミュウツーに対することもいろいろあるけど今日観た印象ではピカチュウのほうが強かった。
終盤に本物のポケモンvsそのポケモンのコピーの戦いになる場面があるのだけどその場面でのコピーのピカチュウを見ててちょっと切ない気分になりましたね。
その戦いの場面の直前にミュウツーが「我々は本物よりも強く作られた」みたいな事を言うんですね。
それは相手(=本物)と戦って勝利することが前提であるように思えて。
ミュウツーとミュウの戦いが始まると次々に他のポケモン達も戦い始めるんですよ。
でも、その中で本物のピカチュウだけはコピーのピカチュウと戦うことを拒み続けたのですね。
「戦うために作られた存在なのにそれを行うことを相手が拒む。」
それはこのコピーのピカチュウにとっては自分の存在そのものを否定されるのと同等のことなのではないか。
なんてことを考えてしまったのですよ。
映画見たことない人には何がなんだかサッパリでしょうな・・・
他にもいくつか印象に残ったシーンはあったけどこれ以上語りだすとキリがなくなりそうなので以下略。
人の手によって生まれたものの存在する意義。
例えばこの映画でも出てるようなクローン。
クローン技術の研究がどこまで進んでるのかは分からないけどそのうち完璧なクローン人間とか出てきてももおかしくないだろうし。
あとはロボットの人工知能なんかにも同じことが言えるかと。
果たしてこういうものが出きたらどうなるんでしょうか?
そんなことをちょっと考えたのでした。
「たかがポケモン、所詮は子どものアニメだよ」と言ってしまえばそれまでだけど、こういう事を考えてみると意外と奥深いもののように思えますね。
ってなんかクローン話から脱線してる気が。。。
当時ポケモンにはまってた人たちが、大人になった今もう1回見てみたらいろいろ感じ方とかも違ってきて面白いかも知れないですよ。
といっても今の自分くらいの世代がレンタルビデオ店とかでこれを借りるのは相当勇気が必要だろうけど(笑
それ以上に今のポケモン世代(10歳前後なのでしょうかね?もっと下か??)の子どもたちに親子で観てもらいたいかな。
この映画が映画館でやったのって5年以上は前だろうし知らない人も多いのではないかと。
というか生まれてない子とかいそうだし^^;
ってことで今日は昔なつかしポケモンの映画の話をしてみました。
こういう話をするのはまぁいいんだけどバナーが載るのはちょっと恥ずかしいな・・・
ゲームとTVアニメの連動で、世界中の子どもたちを虜にし続けている「ポケモン」こと『ポケットモンスター』の劇場用長編映画第1作。幻のポケモンのコピーとして生まれたミューツーは、コピーのほうが本物よりも優れていることを実証すべく、ポケモンたちのコピーを次々と製造。ピカチュウをはじめとするポケモンは、自分たちのコピーと戦う羽目に陥っていく…。
人気キャラクターの力を借りながら、オリジナルとコピーという難解なテーマをわかりやすく子どもたちに教えてくれる、気持ちのいいファミリーピクチャーで、大ヒットを記録。
後にアメリカでもピカチュウ役の大谷育江の声はそのまま、英語吹替版が公開され、ここでも日本映画初の全米興行トップ10にチャートインするなど、大いに話題を集めた。
なんか今日テレビでやってましたね。
オリンピックを見ててCMになったときにチャンネルを適当に回してみたらやってたのを発見(笑
で、懐かしさも重なって思わず観てしまいました。
と言っても最後の30分ちょっとの間だけだったけどね。
当時観たときとはなんかいろんな意味で違う視点から観てたような気が。
今考えれば普通に「これ有り得ないだろ」って感じのツッコミ要素も満載だけどそれはいいとして。
↑のamazonの紹介の文にもちょっと書いてある「オリジナルとコピー」の話。
以前とあるホームページにこの映画の感想みたいなのが載ってたのを見たんだけどそこには「劇中のコピーのポケモン=現実でのクローン技術」に置き換えれるって感じに書いてあったり。
それはかなり頷ける内容だったなぁ。
他にもちょっと探せばこのことについて書いてあるレビューは多いかと思う。
分からない人のために話の大まかな流れだけでも書いておこうと思ったけど文にしたら長くなりそうだししっかり説明できるほどは覚えてない事に気づいたため割愛。
とりあえずミュウツー=人の手によって創り出されたポケモンってことだけ述べておきます。
気になった人は自分で調べてください(ぉぃ
今日観た自分が1番印象に残ったのはコピーのほうのピカチュウ。
もちろんミュウツーに対することもいろいろあるけど今日観た印象ではピカチュウのほうが強かった。
終盤に本物のポケモンvsそのポケモンのコピーの戦いになる場面があるのだけどその場面でのコピーのピカチュウを見ててちょっと切ない気分になりましたね。
その戦いの場面の直前にミュウツーが「我々は本物よりも強く作られた」みたいな事を言うんですね。
それは相手(=本物)と戦って勝利することが前提であるように思えて。
ミュウツーとミュウの戦いが始まると次々に他のポケモン達も戦い始めるんですよ。
でも、その中で本物のピカチュウだけはコピーのピカチュウと戦うことを拒み続けたのですね。
「戦うために作られた存在なのにそれを行うことを相手が拒む。」
それはこのコピーのピカチュウにとっては自分の存在そのものを否定されるのと同等のことなのではないか。
なんてことを考えてしまったのですよ。
映画見たことない人には何がなんだかサッパリでしょうな・・・
他にもいくつか印象に残ったシーンはあったけどこれ以上語りだすとキリがなくなりそうなので以下略。
人の手によって生まれたものの存在する意義。
例えばこの映画でも出てるようなクローン。
クローン技術の研究がどこまで進んでるのかは分からないけどそのうち完璧なクローン人間とか出てきてももおかしくないだろうし。
あとはロボットの人工知能なんかにも同じことが言えるかと。
果たしてこういうものが出きたらどうなるんでしょうか?
そんなことをちょっと考えたのでした。
「たかがポケモン、所詮は子どものアニメだよ」と言ってしまえばそれまでだけど、こういう事を考えてみると意外と奥深いもののように思えますね。
ってなんかクローン話から脱線してる気が。。。
当時ポケモンにはまってた人たちが、大人になった今もう1回見てみたらいろいろ感じ方とかも違ってきて面白いかも知れないですよ。
といっても今の自分くらいの世代がレンタルビデオ店とかでこれを借りるのは相当勇気が必要だろうけど(笑
それ以上に今のポケモン世代(10歳前後なのでしょうかね?もっと下か??)の子どもたちに親子で観てもらいたいかな。
この映画が映画館でやったのって5年以上は前だろうし知らない人も多いのではないかと。
というか生まれてない子とかいそうだし^^;
ってことで今日は昔なつかしポケモンの映画の話をしてみました。
こういう話をするのはまぁいいんだけどバナーが載るのはちょっと恥ずかしいな・・・